今回は、関西大学 社会安全学部 社会安全研究科にご在籍で、保険論や損害保険などを研究されている桑名 謹三教授に、マネーキャリア編集部が独自インタビューを行いました。
この記事の目次
桑名 謹三教授のプロフィール
略歴
1986年(昭和61年) 3月 東京大学工学部船舶工学科 卒業(工学士)
1986年(昭和61年) 4月 日本火災海上保険株式会社(現損害保険ジャパン株式会社) 入社(~2002年(平成14年)3月)
2005年(平成17年) 3月 法政大学大学院社会科学研究科政策科学専攻環境政策プログラム修士課程 修了(修士(政策科学))
2008年(平成20年) 3月 上智大学大学院地球環境学研究科地球環境学専攻博士後期課程 修了(博士(環境学))
2010年(平成22年) 4月 法政大学社会学部 非常勤講師(~2013年(平成25年)3月)
2010年(平成22年) 4月 法政大学大学院政策科学研究科 非常勤講師(~2012年(平成24年)3月)
2011年(平成23年) 9月 青山学院大学経済学部 非常勤講師(~2013年(平成25年)3月)
2012年(平成24年) 4月 法政大学大学院公共政策研究科 非常勤講師(~2014年(平成26年)3月)
2013年(平成25年) 4月 東北公益文科大学公益学部 准教授(~2014年(平成26年)3月)
2014年(平成26年) 4月 関西大学社会安全学部 准教授 2024年(令和6年) 4月 関西大学社会安全学部 教授
引用:関西大学 教員紹介
損害保険の基本機能と暮らしとの関わり

損害保険の役割とは
1つは、損害保険は「保険契約者がミスをして、いろんな第三者に損害を与えた際に、不法行為法や損害賠償に関する法律と密接にセットアップして作られている保険」なので、被害者救済のスキームとも言える点で役に立っていると言えます。
もう1つは、損害保険があることによって、社会的コストが削減されるという点です。たとえば、裁判をする際にかかるコストについて、賠償コストはもちろん、弁護費用や因果関係の立証コストも非常に多くかかりますが、損害保険があればコストがかなり減ります。
経済学の「世の中や国全体がよくなること」という観点で見ても、ほぼ全ての国で不法行為法や損害賠償制度に損害保険がセットで制度設計されているという事実から見ても、社会的、政策的に役に立っていると言えます。
火災保険や自動車保険(自賠責保険)が当たり前に感じられる理由
個人的な意見として、「入って当たり前」という感覚とは少しズレがあるのですが、実際に30〜40年ほど前から「日本人が支払う損害保険料と生命保険料がどれだけ多いか」という世界的なデータがあり、既に日本は「国民1人当たりの損害保険の保険料負担が少ないが、生命保険の保険料負担は多い」と言われておりました。
私自身が保険会社に勤めていた頃も、「あと20年後、30年後には損害保険料も増える」と言われていたのですが、現在でも生命保険に比べると損害保険の保険料負担は少ないままです。
また、「なぜ保険に加入するのか」という点で、損害が発生したらそれを補うために自分の資産を崩さなければならないので、事故が発生し、保険がなければ自分の資産の変動幅が非常に大きくなってしまいます。
事故がなければ良いのですが、経済学的にも人や企業は上記のようなリスクの大きな変動を嫌うと言われています。ところが、保険に加入しておけば保険料負担はあるものの事故発生時には保険金が出るので保険契約者の資産の変動幅が小さくなります。
このような資産の変動幅の抑制という仕組みがあることが「保険に加入する理由」の1つではないかなと思います。
また、住宅ローンやアパートの賃貸契約などについても、火災保険への加入が義務化されているケースがほとんどですが、これは、契約者の債務不履行を回避する手段として保険が役に立っていると言えるでしょう。
損害保険と事故・被害の予防について
難しい話にはなりますが、損害保険の保険料は
- 想定される支払保険金 × 事故の発生確率 + 保険会社の事務経費
で計算されます。保険に加入すると事故が発生しても保険金を貰えるので、防災や減災のインセンティブがほぼなくなる(事故や災害を防ぐ努力が弱まる可能性がある)と言われています。
そのため、保険加入によって、事故や被害が逆に増えてしまう可能性があります。
損害保険ではありませんが、最近展開され始めた「健康増進保険」のように、ウォーキングやトレーニングといった、自身で健康に対するリスクを減らすような動きをしたら保険料の減額がされるような仕組みがなければ、保険に事故を減らす役割はないと言えます。
このように、保険に入ったことによって、むしろリスクが上がってしまうことを経済学の用語で「モラルハザード」と呼びます。
保険という仕組みを一般の人が合理的に判断して行動すれば、気持ちが緩んでしまうことは不可避的に発生しますので、この観点を踏まえると保険が事故を減らすことができているか、というとそうは言えないのではないかと思います。
事故歴と保険料の関係とは
具体例として、強制保険である自賠責保険では自動車の種類と地域によって保険料は違うものの、運転する人の行動によって保険料は変わりません。
他方、任意の自動車保険では過去の事故歴で保険料が上がったり下がったりするようになっています。 自賠責保険では、乱暴な運転をしても保険料は変わりませんが、自動車保険では乱暴な運転をして事故を起こしたドライバーの保険料は上がります。結果として、自動車保険のこの保険料の仕組みは、モラルハザードを抑制する効果があります。
他方、自賠責保険の保険料の仕組みは、モラルハザードを容認しています。これは事故を多く起こしてしまうような悪いドライバーの保険料が著しく高くなると、強制保険である自賠責保険に、そのような悪いドライバーが加入しなくなり、結果として、無保険車が増えてしまい、被害者救済制度としてうまく機能しなくなる可能性があるためです。最も、自賠責保険を強制化すべきドライバーが、かえって、加入しなくなる可能性があるためです。
上記でも述べたように、運転行動やリスク意識に関しても不可避的にモラルハザードは発生してしまうので、保険の制度設計上どこまで容認するかは引き続き議論される余地があると思います。
補足になりますが、保険料は基本的に「保険に加入していた人の行動に基づく損害のデータ」がベースです。つまり、モラルハザードがある状態のデータなので、保険会社は損をしないような仕組みになっています。
自然災害と損害保険の役割とは
こちらに関して、世界最大級の再保険会社である「ミュンヘン再保険」が、「地震のような自然災害についても、最低限補償が得られるような保険スキームがあるような社会は、経済発展が良かった」というレポートを出しています。
まさしく日本を指すのですが、実際に1960年代ごろから、とくに家計の地震保険などは最低限度の補償が出ていることからも、昔からこの仕組みが存在しており、経済の安定に寄与しているのでは、と思われます。
一方で過去の自然災害と保険金支払いを分析した際に、死者数と保険金支払いが多い災害のデータをランク付けすると、日本だけ特殊であることがわかりました。
具体的に、日本は亡くなる人が多い災害についてもしっかり保険金が支払われているのに対し、他の途上国の災害では亡くなる人が多くても保険金がほとんど支払われていません。
このことからも、日本においては自然災害における保険金が支払われているという点で、60〜70年代の経済発展を担う役割があったのではないか、と分析しております。
東日本大震災のときにも死者数としては2万人ほどでしたが、それに対しても保険金が支払われているので、世界全体で見ても日本は珍しい位置付けであると言えます。
企業向け保険と家計リスクの繋がりについて
企業向け保険と家計のつながり
総務省が出している「産業連関表」というデータがあるのですが、これは簡単に言うと「企業が原材料として何を買っているかがわかるデータ」です。
これを見ると、日本の損害保険の保険料収入の5〜6割が企業からとなっています。イメージ的に言えば一般の生活者の方が多く損害保険を契約していると思うかもしれませんが、個人向けの割合で言うと残りの4割ほどにしかなりません。
上記を踏まえて、一般の生活者とは関係してくるのは何かというと、保険料は原材料として企業の生産過程に必ず投入される費用なので、保険料が上がれば我々が買うものの値段も上がる、ということなので、この点でつながりがあると言えます。
とはいえ、保険も種類が多く、日経新聞に掲載された保険であっても全く売れていない保険もあるので、どれだけ我々の生活に役に立っているかという点では、
- どのような企業向けの保険がどれほど売れていて
- どれだけ大きな事故があって
- どれだけ企業の活動に役に立っているか
は、企業保険を販売している保険会社外の生活者にとっては見えにくいと思います。
企業が保険に加入しない場合の影響
まず前提として、企業によって「十分」の定義が異なるうえでお話すると、損害保険は補償限度額があることからも、保険でできることは限られています。
そのため、仮に保険がなかったとしてもすぐに企業が倒産するという訳ではないのですが、保険の加入可否に関わらず、うまく活用していなければ最終的には消費者が不当なコストを担うことになってしまいます。
もちろん、従業員も苦しくなるとは思うのですが、具体的な影響度合いについては企業が「保険の使い方のノウハウをどれくらい持っているか」にもよるのではと思います。
ちなみに、日本の場合では、一旦企業が保険会社にリスクを全部渡しておいて、そのリスクの一部か全部を、その契約者である企業が海外に保険会社を構え、そこに移転している企業もあります。(キャプティブ保険)
企業のリスクマネジメントと従業員の安心について
結論として、そうだと思います。
保険契約者の資産の変動幅が大きいのを嫌がるというのは、個人だけではなく企業もそうなので、その変動幅を抑えるために企業は損害保険に入っています。
また、保険会社は保険制度を運営するために人件費を払っていることも踏まえると、保険に加入することは長期的に見れば損をします。
しかし、それでもなぜ保険に入るのかというと、上記のように「資産の変動幅を抑える」ためであるということが、経済学的にもそう言われていますし、私もそう思います。
企業向け保険と個人向け保険の違い
保険の設計について大きく違う点は、まず個人向け保険の設計は「主契約や特約の内容・保険料も全て金融庁の認可が必要」である一方、企業向けの保険は主契約の部分をミニマムにでき、特約や保険料については金融庁の認可が必ずしも必要ではありません。
ここに違いがある理由として、前提として個人向け保険は「保険会社>個人」の力関係があるからこそ、自由な部分が多いと、保険会社の有利な方向へ動いてしまい、それで個人の契約者における損失が発生してしまうからです。
したがって、金融庁は個人向けの保険については、 主契約も特約も完全に認可が必要なのです。
一方で、企業向け保険に関して、企業は個人と違って交渉力があるので、契約内容や値段については当事者間で交渉するように促しているので、保険設計の自由度も個人向け保険とは全く違います。
また、保険法という法律(保険契約者と保険会社の間の契約約款におけるガイドライン)に、法律として定められた契約に関する記載があるのですが、企業向け保険に関しては、任意事項も多いことから、保険会社の設計における裁量も大きい訳です。
つまり、スペシャリティ保険(一般の損害保険ではカバーしきれない航空、海洋、サイバー、環境、専門職賠償など、特定のニッチな分野における特殊なリスクを対象とした保険)のような、企業向けの方が、個人向けの保険よりも、契約に関する融通がきくことになります。
そして、もう1つ大きな違いとして、企業向け保険は個人の契約とは違い、保険料や保険金も巨額になりますが、損害保険の認可の書類にはほとんどのケースで「その保険会社の総資産の一定割合までの引受しかできない旨」の記載があります。一定割合は、保険の種類によって異なります。
一定割合を200分の1とすると、800億の保険の場合、仮に保険会社の総資産が10兆円だとすると、引受できる金額は500億円になるので、残り300億円分は他の保険会社に再保険として流すことを検討しなければなりません。
損害保険は生命保険とは違い、事故の状態によって支払われる事故の保険金が異なります。そのため、余談にはなりますが損害保険会社におけるアンダーライティング(リスクを保険料に変換する仕事)が大切であり、事故が起こった際の損害査定が必要になってくるのです。
企業リスクが家計に波及する構造とは
上記の回答と重複してしまうかもしれませんが、損害保険料は原材料費にも組み込まれているので、事故があった際に消費者である我々が買うものの値段が変わってくる可能性があります。
たとえば、直近でもあった大手食品会社におけるランサムウェア攻撃などが該当します。
ただし、そうなると他の競合他社が価格競争の点では優位になるので、家計に直接的な影響があるかというと、消費者は合理的な選択をするので、必ずしも我々の家計に波及するとは限らないとも思います。
損害保険の今後とは
企業と家計の保険はほぼ分断されている中でも、今後大きくなるリスクは自然災害はもちろん、サイバー攻撃などのリスクも上がっていくでしょう。
そのため、たとえば風水災をカバーする火災保険の保険料というのは今後上がっていくのではないかと予想しています。
また、損害保険に対するリスクは都度変わっていきますので、気候変動をはじめとした大きな変動があった際など、そのときの状況に合わせた保険を開発して、対応していかなければならないのではと思っております。