今回は、京都産業大学 経営戦略研究科にご在籍で、ファイナンスや保険論、リスクマネジメントなどを研究されている諏澤 吉彦教授に、マネーキャリア編集部が独自インタビューを行いました。
この記事の目次
- 諏澤 吉彦教授のプロフィール
- インシュアテック型保険はどう広がってきたのか
- 情報通信技術の発展とインシュアテックの位置づけ
- 運転挙動反映型自動車保険と健康増進型医療保険の共通構造
- 健康増進型医療保険は「目新しい」ものなのか
- 健康増進型医療保険がもたらすメリット
- 行動が保険料やリワードに反映される仕組み
- 個人にとって期待される健康・経済面の効果
- 社会全体から見た医療費抑制と制度の持続性
- データ活用型保険に潜む課題と注意点
- リスク評価指標は健康状態を正しく捉えているか
- 運用コストと保険料への影響
- プライバシーと個人情報保護の考え方
- インシュアテック型保険は、保険の「相互扶助性」を変えるのか
- 相互扶助とリスク細分化の基本的な関係
- モラルハザードと保険の成立条件
- 公的保障と私的保険の役割分担をどう考えるか
- 公的医療保険が担う基礎保障の役割
- なぜ日本で民間医療保険が利用されているのか
- 公的保障と私的保険の「埋めるべきギャップ」
- 老後保障では何が課題になるのか
- 公的年金制度の基本的な仕組み
- 公的年金と私的年金の利点と留意点
- 生活者は保険とどう向き合えばよいか
- 公的保障を前提としながら、私的保険をどのように利用すべきか
- 過不足のない保障を判断するための考え方
- 保険が果たす「災害レジリエンス機能」
- 災害レジリエンスとは何か
- 災害時に保険が果たす生活再建の役割
- 公的支援と民間保険の補完関係
- 気候変動時代に求められる保険の役割
- 編集後記
諏澤 吉彦教授のプロフィール
職歴
2015/04 ~ 現在 京都産業大学 経営学部 マネジメント学科 教授
2008/~2015 京都産業大学 経営学部 准教授
2007/~2008 京都産業大学 経営学部 講師
1988/~2007 損害保険料率算出機構 勤務
2012/09 ~ 2013/08 St. John’s University Peter J. Tobin College of Business 客員研究員
その他、慶應義塾大学総合政策学部・日本大学商学部・東京経済大学等で非常勤講師歴あり
学位・学歴
1988 横浜市立大学 文理学部 卒業(学士)
2000/12 St. John’s University(Peter J. Tobin College of Business) 経営学修士(MBA Hons.)・理学修士(MSc) 修了
2005 一橋大学大学院 商学研究科 博士後期課程 修了、2006/03 博士(商学) 取得
著書(抜粋)
基礎からわかる損害保険の理論と実務 (保険毎日新聞社 2023年)
保険事業の役割 ― 規制の変遷からの考察 (2021年)
リスクファイナンス入門(中央経済社、2018)(共著)
はじめて学ぶ会計・ファイナンス(第2版)(共著)
その他、保険論・リスクマネジメント関連の専門書・教科書に寄与(編著・共著多数)
論文(近年の代表例)
健康経営推進に向けた損害保険事業の役割に関する考察 (損害保険研究 2024年)
パラメトリック保険のレジリエンスファイナンスとしての機能に関する考察(損害保険研究, 2022)
Risk Evaluation Factor of Health Promotion Medical Insurance: An Analysis Focusing on Cost of Telematics and Policyholder’s Coverage Selection(Asia-Pacific Journal of Risk and Insurance, 2021)
その他、保険・リスクマネジメント関連の査読論文多数(国内外)
インシュアテック型保険はどう広がってきたのか

情報通信技術の発展とインシュアテックの位置づけ
インシュアテックという言葉自体は新しく聞こえるかもしれませんが、その萌芽は、情報通信技術、いわゆるICTが目覚ましく発展を始めた90年代にはすでに見られました。
保険分野では、従来から大量の統計データや情報処理技術を使って、リスクを評価してきましたが、近年ではセンサーやスマートフォン、ウェアラブル端末の普及によって、より細かく、リアルタイムにデータを取得できるようになっています。
それによって、予め設定したリスク関連指標の目標値を達成すれば、次期保険料に割引を適用したり、健康関連商品などに交換できるポイントや還付金などのリワードを付与したりするような仕組みが登場しています。
インシュアテックは、こうした技術革新によって、保険料算出、保障内容の設計、契約引受け、ロスコントロールサービス(企業が損害の発生を未然に防いだり、発生した場合の被害を最小限に抑えたりするために行う予防・軽減活動全般)、損害調査と保険金支払いなど、保険経営の様々な分野で変化をもたらしています。
運転挙動反映型自動車保険と健康増進型医療保険の共通構造
両者に共通しているのは、「行動データをもとにリスクを評価し、その結果を保険料やリワードに反映する」という構造です。
運転挙動反映型自動車保険では、文字どおり走行距離などに関するデータを活用し、例えば走行距離が短かった場合に、保険料が割り引かれる仕組みなどが採用されています。
健康増進型医療保険も同様に、歩数や運動量などの行動データをもとに、保険料割引やポイント付与といったリワードを設けています。
つまり、どちらも「結果としての事故や病気」だけでなく、「そこに至るまでの行動」に着目している点が特徴だと言えます。
とはいえ、リスク評価に用いている指標が、実際のリスクを代理する適切なものかどうか、そしてデータ収集と分析の費用が過大となっていないかなどについては、今後も評価をしていく必要があるのではないかと思います。
健康増進型医療保険は「目新しい」ものなのか
確かに、健康管理・支援アプリケーションやウェアラブル端末からのデータと連動する仕組みは新しいものですが、考え方そのものは、必ずしも新規のものではありません。
先ほどの運転挙動反映型自動車保険の例からもわかるように、「行動に応じて保険料を調整する」という発想自体は、以前から存在していました。
健康増進型医療保険は、これまで難しかった健康行動の把握が技術的に可能になったことで、医療保険の分野にもその仕組みが広がったものと捉えることができます。
したがって、リスク移転という保険の本質的機能を大きく変えたというわけでなく、技術の進歩によって、保険が、いわゆる損失発生のリスクに事後的に対処する、いわゆるロスファイナンス(リスクファイナンス)の機能は維持しながらも、
新たに損失軽減機能、すなわちロスコントロール(リスクコントロール)の機能を持つようになった、と見るほうが実態に近いでしょう。
健康増進型医療保険がもたらすメリット

行動が保険料やリワードに反映される仕組み
健康増進型医療保険の特徴として、「行動が保険料やリワードに反映される」とよく言われます。具体的には、どのような仕組みなのでしょうか。
健康増進型医療保険では、加入者の行動データをもとに、保険料の割引やポイント付与などのリワードが提供されます。
例えば、一日当たりの平均歩数が8,000歩など予め設定した目標値を達成するなど、健康増進への取組みの状況を計量化し、その結果に基づき、保険料割引などの経済的なメリットを付与する仕組みです。
重要なのは、病気になったかどうかではなく、その前の段階である「健康に資する行動」をリスク評価の対象にしている点です。
これにより、加入者にとっては保険が「万が一の備え」にとどまらず、日常生活のなかで健康増進行動を意識するきっかけになり得ます。
個人にとって期待される健康・経済面の効果
個人にとっての効果は、大きく健康面と経済面の二つに分けて考えられます。
まず健康面では、日々の行動が可視化され、それが評価されることで、運動や生活習慣の改善につながる可能性があります。
経済面では、割引によって保険料負担が軽減されるなどの点が挙げられます。
さらに、健康増進行動の結果、実際に健康状態が維持されれば、病気になったら負担することになる諸費用、例えば医療費はもちろん、通院のための交通費、子供がいれば療養中に育児代行を受ける費用、要介護者がいれば介護を委託する費用、自営業であれば休業損害などの費用の負担を免れることができ、これらも経済的メリットと言えるでしょう。
ただし、繰り返しになりますが、このような効果を期待するためには、
- 健康増進型医療保険がリスク評価に用いている指標が健康維持・増進につながるものであること
- 情報収集・分析、リスク評価などの費用が十分に低いこと
- 個人の行動を変化させ得る程度のリワードが付与できること
が前提となります。
社会全体から見た医療費抑制と制度の持続性
理論的には、健康行動が促進されることで、将来的な医療費の増加を抑えられる可能性があります。
生活習慣病などの予防につながれば、医療システムの負担軽減、さらには公的医療保険の収支改善にも寄与するでしょう。
ただし、こうした効果がどの程度現れるかは、制度設計や利用者の行動変容の度合いに大きく依存します。短期的に劇的な医療費削減を期待するよりも、制度の持続性を高めるための一つの手段として位置づけるのが現実的です。
また、日本では私的保険の保険料や保障内容に関する公的規制が、国際的に見れば比較的厳格であるために、起こりにくいことではあるのですが、この保険を突き詰めていけば、過度なリスク細分化が進み、ひいては保険契約の個別化にもつながるかもしれません。
例えば、今後の情報通信技術の発展に伴って自動車保険では走行距離に加え、走行時間帯、天候、地域、急発進、急制動などの詳細な情報も、これまで以上に収集・利用されるかもしれません。
また、健康増進型医療保険であれば血圧や脈拍数、就床時間、ソーシャルジェットラグ(社会的時差ボケ)などの情報もリスク評価に利用されていく可能性もあります。
仮に保険市場の自由化が進み、大幅な規制緩和がなされるとすると、各保険会社としては他社に先んじて「リスクが低い契約者を引き付けよう」とするものが現れるかもしれません。
その結果、競争圧力にさらされている他の保険会社も、費用を顧みない行き過ぎたリスク細分化を行うおそれがないわけではありません。
ただ、このような極端な事態に陥ることは、現在の日本の保険市場の実態から見て考えにくいことですので、適切に設計された健康増進型医療保険が普及していけば、社会全体で見れば公的医療保険を含めた「医療保障システムの持続性」にもつながると期待されます。
データ活用型保険に潜む課題と注意点
リスク評価指標は健康状態を正しく捉えているか
一定の健康行動を把握する指標としては有効ですが、それだけで個人の健康状態を十分に評価できるかというと、慎重に考える必要があります。
例えば、歩数が少なくても体調管理が適切な人や、持病があって運動量を増やしにくい人もいます。
数値化しやすいデータに偏ると、実際の健康リスクとの乖離が生じる可能性があります。そのため、どの指標をどのような重みで評価するのか、その妥当性が常に問われることになります。
先ほどのリスク細分化の話題にも関わりますが、自ら健康行動をすすんで行い、疾病リスクが低いと認識する個人はすすんでこの保険に加入する一方で、高リスク者に関しては、保険料が高額となり、保険の入手可能性が損なわれるということにもつながるおそれもないわけではありません。
もちろん、先ほど述べたようにこのような状況に陥ることが日本では考えにくいものの、諸外国の状況を見るとその可能性も念頭に置いておく必要があるでしょう。
運用コストと保険料への影響
データを収集・分析するためのシステム構築や運用には、一定の費用が発生します。
その費用を上回るほどの医療費削減効果やリスク低減効果が得られなければ、結果的にその一部は保険料、厳密には保険会社の管理運営費の財源を含む付加保険料に上乗せされるかもしれません。
その結果、保険の価格競争力を低下させることにもなりかねない点にも、留意が求められます。
また、リスク評価が、たとえ正確であったとしても、被保険者の行動を変化させるだけのリワードを付与できなければ、健康増進効果は見込めません。
十分なリワードを付与する財源を、保険料を引き上げることなく確保するには、健康増進による保険収支改善が必要となりますので、これらは双方向的であり、両者を同時に達成できなければならないと言えます。
プライバシーと個人情報保護の考え方
健康関連情報は、運動習慣を含む非常にセンシティブな個人情報であり、その取り扱いには高い慎重さが求められます。
一方で、現在すでに健康管理・支援アプリケーションなども普及しつつありますので、そのことを考えれば、個人情報保護を理由に、健康増進型医療保険の契約を取りやめるというのは合理的ではないと言えます。
情報漏洩などの事故防止対策は十分に取り、その発生可能性は最小化すべきであることは言うまでもありませんが、リスクを完全にゼロにすることは非常に困難なことも事実です。
ですので、事前の防止策をとりつつも、一定の事故の発生は起こりうることを前提として、事故が起こった際の事後的な対応策も整備をしていく必要があります。
インシュアテック型保険は、保険の「相互扶助性」を変えるのか

相互扶助とリスク細分化の基本的な関係
保険は、多くの加入者が保険料を払い込み、偶然の事故や、人の生・死、傷害疾病により生じる費用や損失を被った加入者に、保険金を支払うという、相互扶助性を伴う仕組みと言えます。
ただ同時に、保険契約当事者のインセンティブの問題に対処する必要があります。その一つがいわゆる「逆選択」の問題です。
仮に、加入者のリスクに関わらず保険料が一律であった場合、その水準は高リスク者にとっては割安に、低リスク者にとっては割高となります。
その結果、高リスク者のほうが、保険に加入する、より強いインセンティブを持つことになります。保険契約集団が高リスク者ばかりで構成されれば、保険収支は悪化し、保険料は引き上げられることになります。
そして、引き上げられた保険料でもなお割安と感じる、さらなる高リスク者が選別的に保険に加入することになり、ひいては保険の仕組みが破綻してしまいます。
こうした事態を回避するためにも、一定程度のリスク細分化は必要であるといえます。私的な医療保険において、年齢や性別、職業などによって保険料が異なるのも、合理的な範囲でのリスク細分化であると言えます。
健康増進型医療保険は、こうしたリスク細分化の指標に、被保険者の行動などの情報を導入したものと捉えることができます。
ただし、何をリスク細分化の指標とすべきかは、社会がそれを容認するかどうかに依存します。例えば性別は、日本においてはリスク指標として、一般的に使用されていますが、EUにおいてそれは許されていません。
このように特定の指標に対する社会の許容度は、多様であるとともに時間とともに変化もします。ただ、際限のないリスク細分化による保険の個別化は、それを社会が許容するかどうか、そしてその許容度を反映した保険規制がそれを認めるかどうかによって、決定されていくと考えられます。
現在のところ、健康増進型医療保険のリスク評価方法は、社会的に受け入れられていると考えられますが、今後も継続して注視する必要は、もちろんあります。
モラルハザードと保険の成立条件
保険の仕組みが成り立つためには、逆選択とともに、モラルハザードの問題を緩和することも重要な課題になります。
モラルハザードは、保険による保護の存在により、リスク移転者である保険契約者や被保険者の行動が、事故の頻度や損失の強度が高まる方向に変化することを指します。
例えば、医療保険の場合は、加入した安心感から、暴飲暴食をしてしまったり寝不足になってしまったりする人が現れても不思議ではありません。
契約者、被保険者の多くが、そうした行動をとった結果、保険収支が悪化すれば、やはり保険料は引き上げられ、こうした現象が重なれば、保険の仕組みが成り立たなくなります。
一方で保険に加入後も、歩数などの健康維持・増進行動が記録され、保険料などに反映されれば、契約者、被保険者が、将来の保険料負担を軽くするために、すすんでそうした行動をとると考えられます。
このように、健康増進型医療保険は、モラルハザードの緩和にも効果があると期待できます。
公的保障と私的保険の役割分担をどう考えるか
公的医療保険が担う基礎保障の役割
日本では、各種の公的医療保険が整備され、全ての個人を対象に、基礎的な医療保障を提供しています。
言うまでもなく公的医療保険には、一定の自己負担割合が設けられるとともに、医療効果の評価が定まっていないという理由で先進医療が保障対象外となっていたり、差額ベッド代が自己負担となっているなど、保障が基礎的な範囲に限定されています。
このような保障の限定は、財源確保が困難であるという理由もありますが、自己負担があることにより、加入者が健康維持に努めたり、必ずしも必要でない医療の提供・利用を医療者や加入者が控えるよう、促す仕組みでもあります。
公的医療保険は、医療へのアクセスを保障する社会的インフラストラクチャとして、社会の安定と一体性の確保に貢献をしていると言えますが、一方で、個人一人ひとりのリスクマネジメント需要に応じた、柔軟な保障を提供することが主目的とはしていません。
なぜ日本で民間医療保険が利用されているのか
日本の公的医療保険は、医療費負担を軽減する制度ですが、先ほどお話ししたとおり、自己負担割合が設けられるとともに、先進医療、入院時の差額ベッド代や食事代などは保障対象とはならず、さらに治療中の収入減少といった疾病や傷害に伴う二次的な費用もカバーするものではありません。
公的医療保険の保障が限定されている背景には、先ほど挙げたモラルハザードの緩和のほか、システムからの離脱を防止するという理由もあります。公的医療保険の保険料は、所得に基づく応能負担の原則に従い決定され、リスク細分化は一切行われません。
その結果、加入を義務付けたとしても、逆選択の問題が潜在することになります。 リスクに基づかない一律保険料のもとで、逆選択を防ぐためには、未加入者のスクリーニングが必要となり、そのための社会的費用がかかることになります。
しかし、保険料ができる限り低い水準に抑えられていれば、一律保険料であったとしても、加入を躊躇しにくいと考えられます。
保険料が低く抑えられた結果、保障も限定されることになりますが、このことが保険による保護に伴うモラルハザードの防止、すなわち健康維持・増進努力を促すことにもなるのです。
しかし、公的医療保険が必ずしも手厚い保障を提供しないため、十分な保障を得るためには、保険会社から提供される私的な医療保険を利用し、公的医療保険のプロテクションギャップを補完することになります。
このことが、私的な医療保険の需要の源泉となっていると見ることができます。
公的保障と私的保険の「埋めるべきギャップ」
重要なのは、公的保障と私的保険を対立的に捉えるのではなく、それぞれの役割を理解したうえで両者を補完的に利用することを考えるべきです。
公的医療保険は基礎的な保障を一律で提供するものであるため、先ほど触れたとおり個々のケースに応じた、十分に手厚い保障を提供するわけではありません。
公的医療保険は、他の各種公的保険とともに生活保障システムの構成要素として、社会の安定と一体性を維持することを目的としていることは、先ほど述べたとおりです。
そのため相互扶助の精神のもと、対象者には加入が義務付けられるとともに、保険料は所得再分配の機能を持つ応能負担の原則に基づきます。しかしその結果、逆選択の問題が潜在するために、保険料を低い水準に抑え、保障範囲は限定されることになります。
このように公的医療保険が、十分に手厚い保障を提供し得ないことを理解したうえで、個人は自らのリスクマネジメントのニーズに応じた上積みの保障を担うものとして、私的保険を利用していくことが望まれます。
私的な医療保険には、保険期間や保障範囲、引受方法などが異なる数多くの選択肢があります。
例えば女性保険、三大疾病保険やがん保険など、特定の疾病を対象としながら手厚い保障を提供するもの、貯蓄要素が組み入れられているもの、引受基準が緩和されているものなどがありますので、
- 公的医療保険の保障内容
- 過去および現在の罹患状況、健康状態
- 貯蓄金額
などを考慮し、適切に選択することが求められます。
老後保障では何が課題になるのか
公的年金制度の基本的な仕組み
公的年金は、勤労世代の払い込む保険料が、その時点の老齢世代の年金に充てられるという賦課方式に基づいて運営されています。
賦課方式は、公的年金制度の導入時、年金資金の累積を待たずとも、即時に年金給付が可能であるため、諸外国においても広く採用されてきた方式です。
また、年金の給付水準を、同時点の保険料水準に連動させることが容易であるため、賦課方式は、インフレーションの影響を受けにくいと言えます。
その反面、少子高齢化により若年齢層の人口が減少すると同時に老齢世代の人口が増加すれば、年金の原資が十分確保しにくくなるという脆弱性も認められます。
財源の不足を租税収入で補填すると、言うまでもなく納税者の負担は増し、その結果消費が低迷し、経済にマイナスの影響を及ぼしかねません。
ただ、国債の発行による財源確保も選択肢として考えられますが、過度な国債の発行は投資資金をそれに集中させかねず、その結果、民間投資が縮小するという、いわゆるクラウディングアウトを引き起こすおそれがあります。
公的年金と私的年金の利点と留意点
先ほどお話ししたように賦課方式に基づく公的年金は、物価上昇の影響は受けにくいものの、少子高齢化には脆弱です。
一方で個人年金保険などの私的年金は、一般に加入者が事前に払い込んだ保険料を財源として、老齢期の給付が行われるという、事前積立方式に基づいています。したがって少子高齢化の影響は受けにくいものの、物価が大幅に上昇した場合は、予定された給付額では不足するおそれがあります。
もちろん保険会社は、保険資金を株式など物価動向に連動しやすい資産で一部運用していますが、保険責任を果たすために安全性と流動性を重視した資産運用が求められるため、物価上昇を十分カバーし得るかどうか確実ではありません。
このように両者は一長一短があるため、公的年金制度の縮小と私的年金保険の拡大という一方向的な変化は適切とは言えません。したがって、両者を互いに補完するように、公的年金と併せて民間の年金保険にも加入することが求められます。
また老齢期の生活資金への備えは、公的・私的年金だけではありません。例えば貯蓄、iDeCoやNISAなどの選択肢もありますが、それぞれ利点と留意点が異なります。
貯蓄は、私的年金保険と同様に物価上昇の影響を受けやすく、現在のような状況が続いた場合に、将来十分な資金が得られないおそれがあります。
一方でiDeCoやNISAでは、分散投資型のものを選択すれば、物価上昇の影響をある程度緩和できます。 使途の柔軟性に関して見れば、個人年金保険とiDeCoは、短期の引出しが容易でない、または不可であるため、基本的に老後の生活資金に限定されると言えます。反対に貯蓄やNISAは、必要に応じて資金を引き出せるため、柔軟な使途が許されます。
しかし、個人は遠い将来の必要資金を過小評価し、目前の必要を優先する傾向があることから、貯蓄やNISAでは確実な老後資金の準備の点では、不安が残ります。一方で個人年金保険とiDeCoでは、将来に向けて確実な備えがし易いと言えます。
このようなそれぞれの利点と留意点を考慮すれば、いずれかに力点を置くのではなく、やはり複数の方法を組み合わせて老後に備えることが望まれます。
生活者は保険とどう向き合えばよいか
公的保障を前提としながら、私的保険をどのように利用すべきか
まず、事故、災害、疾病、傷害、後遺障害、失業、死亡、生存など、自らがさらされているリスクにどのようなものがあるのかを認識し、それらが顕在化した場合の影響、例えば費用や損失を見積もることから始めるとよいでしょう。
そのうえで、公的保険を含む公的生活保障の内容を確認したうえで、必要に応じて私的な保険への加入を検討することになります。
自動車を利用するのであれば、損害賠償責任を負担するリスクや車両損壊のリスクに備えて、加入が義務付けられている自賠責保険に加えて、十分な保険金額の自動車保険に加入することになりますし、住宅や家財に対しては火災や地震に備えて火災保険や地震保険に加入することとなるでしょう。
これらの損害保険については、対象とするリスクを比較的認識、評価しやすく、加入する、しない、加入する場合の保険金額などの選択が、比較的明確に判断しやすいと言えます。
一方で、傷害、疾病、死亡、生存などの人の生命と健康に関わるリスクは、公的保険との関係が単純ではなく、どのような私的保険が必要なのかわかりにくい面もあります。
しかも年齢や家族構成、働き方の変化に従って、必要な保障は変わっていきます。
このため、就職、結婚、子供の誕生・進学、定年退職といったライフステージの転換点には、医療保険、死亡保険、年金、貯蓄を含めて総合的に見直すことが求められます。
過不足のない保障を判断するための考え方
過不足のない保障を考えるうえでは、自らにとって対処すべきリスクは何かを見極め、各種公的保険を含む公的生活保障の内容を把握したうえで、不足分を私的な保険で補完していくことになります。
先ほどお話ししたように、例えば死亡、生存、傷害、疾病などのリスクに対処する際には、ライフステージの転換点ごとに、保険、貯蓄、その他のリスクマネジメントの手当てが適切かどうかを再検討することが望まれます。
個人の人生設計にもよりますが、例えば20~30歳代での結婚や出産を機会に医療保障と死亡保障を充実させ、50歳代で子供が独立すれば、死亡保障は葬儀費用などに備えるための必要最低限にとどめ、医療・介護保障を一層充実させることを検討してもよいでしょう。
さらにフリーランスのように疾病や傷害が収入の途絶につながるおそれがある場合は、ライフステージに関わらず医療保険、必要に応じて所得補償もカバーするものへの加入を検討してもよいでしょう。
ただし、疾病や傷害のリスクに対処するための方法は、保険だけではありません。
例えば誰もが罹患するおそれのある生活習慣病のリスクに注目すれば、心疾患や脳血管疾患は、食事や運動などの生活習慣から影響を受ける面もあることから、個人の意思と行動によりコントロールできる範囲が一定程度あるでしょう。
一方でがんなどの疾患は生活習慣が直接影響しない面もあり、予防的なリスクコントロールが容易ではないと言えますが、定期的健康診断受診により、早期発見ができれば、医療費負担を軽くできるかもしれません。
このような健康維持・増進行動をすすんでとることも、保険と並んで有効なリスクマネジメントであると言えます。このような健康維持・増進行動を促すという点でも、健康増進型医療保険には可能性が期待できると言えます。
保険が果たす「災害レジリエンス機能」

災害レジリエンスとは何か
災害レジリエンスは、一般的に自然災害への対応力、回復力、復元力あるいは強靭さなどを意味しています。
元来、レジリエンスという用語は、より広く外部からの様々な衝撃、変化に対処する能力を指し、生態学、工学、心理学、医学などの分野で用いられてきました。
近年、世界的に気候変動に一部起因するとされる極端な気象現象が頻発するようになったり、大規模地震を経験したりしたことから、自然災害のリスクマネジメント分野に取り入れられ、「災害に対して強靭な社会を作っていく」ということを「災害レジリエンス向上」と呼ぶようになったようです。
具体的には建物の構造を地震や風水災を含む自然災害に対して強靭なものにしていくことや、災害危険地域での土地・住宅開発を抑制するといった取組みがレジリエンス向上につながるものとして議論されています。
災害時に保険が果たす生活再建の役割
保険は、様々なリスクを移転する手段として、個人の生活、そして企業の事業活動を支えています。
例えば個人にとって地震のリスクに注目すれば、仮に地震保険に加入していなければ、地震が発生し住宅が損壊した場合、修繕、建替えの費用の全額が自己負担となります。
このため、起こるかどうか、いつ起こるか、起こった場合に損失がいくらになるのかが不確実である地震に備え、即座に対応可能な流動的な資金準備を常にしておかなければなりません。
手元に資金があったとしても、安心のためには、それを消費や投資に使うことはできません。
一方で、例えば住宅を対象とした地震保険に加入していれば、地震が発生した際に被る損失を、保険会社から支払われる保険金で一部補填することができます。
地震保険は、損失の全額を補償するものではありませんが、少なくとも負担はある程度軽減されます。このため、資金準備も軽減され、それを消費や将来に向けた投資に当てることができます。
公的支援と民間保険の補完関係
災害に関わる公的支援は、災害被害者全体を対象に、基礎的な支援を一律に提供し、生活再建を支える生活保障システムの一部として重要な役割を担っています。
一方で個々の被害者の被害状況や生活様式の違いを考慮した細かな支援が困難な場合もあるでしょう。
私的な保険として、先ほども取り上げた地震保険に注目すると、これは損害保険会社が契約を引き受け、付保も任意であるため、公的な災害補償制度とは言えませんが、地震被害者の救済という社会的な目的を持った特殊な保険として、「地震保険に関する法律」に基づいて、公的規制のもとで運営されています。
ただし地震のリスクは、エクスポージャ間の損失発生の相関が高く、期待損失の不確実性も高いという、保険の対象になりにくい性質を伴っています。
つまり、いったん大規模な地震が発生すれば、その地域に所在する建物の多くが損壊することになりますので、保険会社は同時に多額の保険金を支払わなければなりません。
また、地震はいつ、どこで、どの程度の規模のものが発生するかを、十分に前もって正確に予測することは、現実的にはできませんので、適切な水準の保険料算出も容易でないと言えます。このように地震のリスクの保険可能性は低いものの、日本においては誰もがさらされているリスクでもあります。
このため、法律に基づいて社会的目的を持って運営されているわけです。
地震保険は、公的な再保険制度など地震リスクの保険可能性を補完する仕組みが整備されていますが、付保可能な保険金額に制限が設けられるなど、十分に手厚い補償を提供するものではありません。このため、地震保険のみでは、従前の状態に復旧するに足る補償を、必ずしも得られないと言えます。
このことを前提に、一定の貯蓄などの準備も併せて行うことが望まれます。
このような自然災害に対する補償の不足、すなわちプロテクションギャップをいかに埋め合わせていくのか、今後も検討していくことが必要です。
気候変動時代に求められる保険の役割
近年、温暖化などの気候変動に起因するとされる風水災のリスクが拡大しています。
こうしたなか、火災保険などの保険の役割への期待は高まっています。このことは、2012年に国連環境計画(UNEP)の金融イニシアチブが、「持続可能な保険原則(PSI)」を打ち出し、世界的な環境問題解決に向けた施策を、保険事業が積極的に主導することを呼び掛けていることからもわかります。
この原則には日本の損害保険会社も複数社賛同して、実際にも様々な取組みを行っています。
冒頭で触れたように、保険は損失や費用が発生した際に、保険金によりこれを補填するという、いわゆるロスファイナンス(リスクファイナンス)に分類されるリスクマネジメントの方法と定義づけられてきました。
しかし、社会の災害レジリエンス向上に貢献することが保険事業にも要請されるなか、損失発生のリスクに「事後的に金銭で対処する」機能に加え、より積極的に「事前に損失発生の頻度と損失の強度」を低下させるという、いわゆるロスコントロール(リスクコントロール)の機能を果たすことも、今後の保険の役割としても必要になってくると考えられます。
例えば、住宅・土地開発、道路などの社会資本の整備を含めた、都市や地域開発計画などに保険事業がいかに関与し、社会の災害レジリエンスを高めていくべきかを、今後も議論していく必要があります。
編集後記
インシュアテックや健康増進型医療保険は、「新しい保険」という言葉だけが先行しがちですが、諏澤教授の解説を通じて見えてきたのは、保険の本質は変わらず、その周辺機能が進化しているという事実です。
データ活用によって行動変容や予防を後押しする一方で、相互扶助やプライバシー、コストといった従来からの課題とも丁寧に向き合う必要があると思います。
生活者にとって重要なのは、仕組みの新しさに飛びつくことではなく、公的保障との役割分担を理解したうえで、自分のリスクに合った保険との付き合い方を選ぶことだと、改めて感じさせられる内容でした。